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若い人たちのために「世代へつなぐ」青木功×佐藤信人<1>

2019年4月16日(火)午後7:00

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 国内開幕戦東建ホームメイトカップを控え、日本ゴルフツアー機構(JGTO)会長の青木功会長に、JGTO理事でツアー9勝の佐藤信人プロがインタビュー。今回は、初優勝者が多かった昨季を踏まえ、青木会長の初優勝からほぼ毎年のように勝ち続けたキャリアについて話を伺いました。
 
プロ入り直後は「遊んでいた」目覚めたきっかけは先輩プロの言葉

 
佐藤 青木さんが会長になられて4年目ということで、JGTOのスローガンは16年が「人を育む」、17年が「共に歩む」、18年が「発展に努める」、そして今年は19年は─

青木 「世代へつなぐ」だね。いま、40代の人達が頑張っているけど、20代、30代、若い人たちのために40代の人達が引っ張り上げるか、あるいは20代、30代の人たちが押し上げるのかみたいな。

佐藤 ベテランと若手がうまく刺激し合いながら、若い人にいろんなものをつないでいこうよと。こういうフレーズは青木さんが考えるんですか?

青木 適当にね(笑)。その時代で若い人たちが出てくると、やっぱりその人達に頑張ってほしいという気持ちで「世代へつなげたらいいな、じゃあスローガンにしよう」と。ごく自然に出たものだよね。

佐藤 去年は若手からベテランまで、初優勝が多かったですよね。

青木 多かったよね。そういう意味では、その若い人たちを含めて、初優勝者というのは、良かった年を意識するとスイングをなんだかんだイタズラするじゃん。あれ、やってほしくないんだよね。なんでかというと、勝ったときのイメージを持っていたら、勝つことを覚えてるんだから、そのままいったらいいんだよな。

佐藤 私はこのインタビューにあたって、青木さんの現役時代を散々調べ上げたんですけど、凄いんですよね。青木さんがプロになったのは21歳とか22歳とかですよね。

青木 22の春だね。

佐藤 で、初優勝が29歳の関東プロ(ゴルフ選手権・71年)ですよね。割とそこまで期間があって、一度優勝しだしたら、ほぼ毎年勝ってるんですよね。

青木 それは、(プロになって)5年間か6年間か遊んでいたがために──

佐藤 遊んでたんですか!?

青木 遊んでたんだよ。だって、プロになった時点で(もともとの)1万5千円の給料に技能手当1万円が入って2万5千円。もらったことが無いお金をもらったら、使っちゃうじゃん。そしたら先輩に「おまえ、プロだろ?試合に出ないとプロじゃないよ」と言われたのが25、6歳のころ。それでトレーニングしなきゃっていうんで2年くらいやって、関東プロに勝ったんだよね。もっと早く言ってくれたら、もっと早く勝ってたんだけど、そういうわけにはいかないな。

佐藤 そうだったんですか。僕はプロ転向から優勝するまでの、強烈な葛藤とか、もうゴルフやめたほうがいいんんじゃないかとか、そういう悩みがあったんじゃないかと聞こうと思ってたんですけど、真実は遊んでたと。

青木 昔は関東プロと関西プロがあって。関東プロに予選落ちすると、関東オープンも日本プロ(ゴルフ選手権)も日本オープンも出られないんだよ。関東プロの予選を通れば、関東オープンに出れる。関東オープンの予選に通れば、日本プロに出れる。日本プロの予選に通れば、日本オープンに出れる。そういう時代、そういう仕組みだったんだよ。関東オープンの予選にポンと落ちちゃったら、もうあと何も無いでしょ。だから、プロになって1万円給料が増えたもんだから、なんか知らないけど遊んでて。それで先輩に「いい加減にしろ」って怒られてね。佐藤精一さん(ツアー11勝・2019年殿堂入り)とかね。そうやって言ってくれる人がいたから、助かったよね。

佐藤 先輩の存在が大きかったんですね。
 
憧れたのは陳清波とアーノルド・パーマー。そして天敵は・・・

佐藤 青木さんはコンスタントに勝ちだしてからは、成績だけみるとスランプが無いように見えるんですよね。実際どうだったんですか?

青木 スランプ?勝てない時がスランプだと思った。

佐藤 ・・・。ああ、なんですか、じゃあ、“1ヶ月スランプ”とか。

青木 うん。そう思ってたらその翌週に勝ったから「やっぱ違うわ」って。あんまり深刻に考えてないんだよね。

佐藤 いやぁ(笑)ジャンボ(尾崎将司)さんも全盛期のころ、3試合優勝なかったら「スランプだ」っていわれてましたけど、それに近いんですね。

青木 自分が年間5勝とかしていたときに、練習日で「あ、このコースだったら10アンダーで回ったら優勝できるかな?」って思いながら練習するんだ。それで、仮に自分が10アンダーで回ったとする。で、優勝スコアが12アンダーとか、11アンダーとかが3人くらいいたとすると、「あ、あいつらのほうがうまいんだ。じゃあもう少し順位をあげるために、スコアを出せるように練習しよう」と、そういうふうに考えるんだよね。

佐藤 常に自分で優勝スコアを想定して、そこに向かって、と。

青木 若いときは『勝負』って言葉が好きだったんだけど、それがなんとなく定着してきて、40歳くらいになった時、『忍』っていう言葉になった。なぜかっていうと、我慢して、2位でも3位でも、プロなんだからお金を稼がなきゃいけない。5位なら、ひとつふたつ順位をあげれば3位になるとか、そういうものの考え方になったね。

佐藤 青木さんは憧れた人とかいたんですか?

青木 最初に憧れたのは、日本でみた陳清波だね。それと、アメリカにいったらアーノルド・パーマーだね。佐藤くんが知っているかわからないけど、昔『ビックイベントゴルフ』っていうテレビ番組をやってたんだよ。そのなかで、パーマーが曲げても(林の中の)ちっちゃな隙間を狙ってボンボン打っていったんだよ。「おお!すっげーな!俺にも出来るかな?」って憧れちゃったよ。

佐藤 それは何歳くらいのときですか?

青木 プロになって結構経った頃だね。36、7歳ころかな。76年に賞金王になって、そのときに海外行ってみたいなと思って。USオープンは10回位行って(注:9回出場)1回も予選を落っこってないんだよ。他の試合は結構落っこってるのに、あれだけ落っこってないんだよ。それは、憧れの中でパーマーと一緒にやりたいというのがあったんだよな。パーマーに会いたくてアメリカでシード選手でやってたんだけど、「パーマーいないなぁ」と思っていたら「パーマーはシニアツアーにいるよ」と。で、俺が50歳になったのが1992年なんだけど、(シニアツアーで)パーマーにあった時は「うわぁ」と。憧れの人が目の前に来たら、言葉がかけられなかったよ。

佐藤 青木さんがそうなるんですね。

青木 憧れの人って、会いたくたって会えないじゃない。その代わり、ジャック・ニクラスとは勝ったり負けたり、いや、勝ったこと無くて負けてばっかりいるんだけど。犬猿の仲じゃないけど「コンチクショー」と。

佐藤 それはやはり80年全米オープンのバルタスロール──

青木 そう。ジャックと最終日を回るって何回もあるけど、1回も勝ってないんだよ。天敵なんだよ、あれ。

佐藤 その当時の青木さんは(気性が)凄かったんでしょうけど、朝ジャックと会うときはどういう感じだったんですか?

青木 まあ「ハロー」とかはいうけど、USオープン最終日は、9番が終わって2つ負けてたのかな?で、(自分が)10番でチップインしたんだよ。そうしたら、彼は短いバーディーパットを3回くらいも仕切り直して。結局入ったんだけど、それを見て「よーし!あと8ホール、彼が一度でも失敗したら勝てる!」と思ったもの。自分の失敗を考えてない。そのくらい、心技体が充実してたんだろうね。

佐藤 今の言葉で言えば、『ゾーン』に入っていたんでしょうね。

青木 だよね。あれから1回も勝てないっていうのはおかしいなと。いまこの年になったら勝てるんじゃないかと思ったら、ジャックが引退しちゃったからどうしようもないよ(笑)。

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