LIVE FROM 全英オープン?小松の小耳?
2015年4月3日(金)午後11:00
【LIVE FROM 全英オープン】???小松の小耳?
7月17日
リバプールで生まれて世界を席巻したビートルズはゴルフをしませんでしたが、1963年の初め、デビュー盤『プリース・プリーズ・ミー』の録音資金をつくるために、レノン、マッカートニー、ハリスンの3人は、北リバプールにあるブートル・ゴルフコース(Bootle Golf Course)で何度かキャディーをしたそうです。
4人がクラブをもって並んでいる写真はいくつかありました。私は『エイト・デイズ・ア・ウィーク』のシングル盤の写真で見たことがあります。『ストロベリー・フィールズ・フォー・エバー』と『ペニー・レーン』のダブルリリースの際には、ロンドン郊外のノールパークGCでプロモーション用のビデオも撮影されました。
ホイレイクはジョン・レノンにとってゆかりもあり、ロイヤル・リバプールGCは彼が存命なら懐かしい思い出の場所だったかもしれません。最初の奥さんのシンシア・パウエルさんと結婚する前、レノンはシンシアさんに会うために、リバプールから彼女の住むホイレイクへ通いました。その時、若きレノンはいつも「ロイヤル・リバプールのコースを横切ってやってきた」そうです。シンシアさんはホイレイクで生まれ育ちました。レノンとの子ども、ジュリアンもホイレイクで育ちました(小松直行)。
7月15日
今年の舞台、リバプールと言うと音楽好きの方はビートルズを思い浮かべるかもしれません。ビートルズの4人はスポーツに興味がなかったようで、ゴルフもやらなかったそうですが、ゴルフとのつながりはいくつかあります。
ジョン・レノンが初期のバンドを組んだ頃、レノンの高校時代のクラスメートで、リバプール近郊のリーパークGCの研修生(見習いプロ)だったナイジェル・ウォーリーがマネジャー役を担うようになり、まずレノンのバンドをクラブハウスに呼んで会員の余興のために演奏させました。それが、ビートルズが生まれて世界を熱狂させるべく羽ばたいていくきっかけになりました。
ビートルズが産声を上げて名声を築く最初の活動拠点となったリバプール、マシューストリートのジャズクラブ、カヴァーンクラブのオーナーの父君がリーパークGCのメンバーで、ウォーリーが一緒にゴルフをしたときに、カヴァーンクラブで演奏させて欲しいと頼んだところ、リーパークGCで先に演奏するよう提案したそうです。カヴァーンクラブのオーナー、アラン・シトナーは、オーディション的な意味だったその演奏を聴いて出演を了承し、1957年8月に実現しました(小松直行)。